広報誌かわらんべ第 127号に掲載

■第9回 上平出の坪梁

鶴ヶ峰の山裾を流れる天竜川のそばに石碑があります。「朝光に 簗場の名残り すすき噴く」。昔、ここには「新梁」と呼ばれる梁があったそうです。この梁は17世紀にはすでに登場し、高遠城主 鳥居忠春は好んでここで遊興したようです。

辰野の梁では、主に諏訪湖から下ってきたウナギが漁獲され、秋雨時、多いときにはウナギだけで一日に二百貫(約750kg)もとれたようです。そんな上平出の梁も全盛期は大正4・5年までで、その後、下流の大久保堰堤・南向堰堤や、上流の西天竜頭首工・釜口水門の建設などによって、遡上する稚魚と降下する成魚が減少し、昭和初期に約300年の歴史に幕を閉じました。
先の句にはその悲哀の情景が詠み込まれています。

坪梁の記載は「伊那路」21巻10-12号(1977)の「天竜川特集」を参考にし、梁の図も酒井十四男氏の「辰野の漁労(二)」から引用した。


【梁(やな)】木・竹でつくったスノコ状の台の一部を川に沈め、流れてきた魚をとる漁法