300年前の未満水で高森町下市田に甚大な被害をもたらした大島川の「山つなみ」(土石流災害)。被害の背景には、その8年前に発生した史上最大級の地震の関与が見えてきました。
この事実を現地調査で確認された、伊那谷自然史研究の第一人者:松島信幸さんにお話をうかがいました。


伊那谷自然史研究の“重鎮”の言葉にはいつも重みが(1月8日取材時)

■大きな土砂災害の前には大地震が

「大きな地震で地盤がゆるみ、その後の豪雨で【山つなみ】が起きて大満水(大水害)となる」 理学博士:松島信幸さんは、伊那谷の過去の記録から そう語ります。
郷土史家の故 村沢武夫さんが調べた伊那谷の水害の記録と、過去の地震被害の記録を並べ、大きな地震や連発した地震のあとの翌年~10数年の間に大水害が集中していることをつきとめました(下表)。特に崩れやすい地形・地質を抱える伊那谷では、大地震の被害もさることながら、その後の水害が大きな被害になることを示しています。


『伊那谷の自然Ⅱ』の 「川の時間と自然への帰順」(松島,1997)の表を一部改変

■未満水大島川土石流の原因は宝永地震

未満水のとき、大島川で発生した「山つなみ」は、今の出砂原一帯に広がると同時に天龍川を越えて豊丘村田村地区まで拡大しました。そのことは最近実施された天龍川堤防護岸の根継ぎ工事で現れた地層【竜東地域一帯の地表面直下にも大島川および竜西側からの花崗岩礫が広く分布】からもわかります。その原因となったのは大島山不動滝近くの山崩れだったと昔から伝わっています。
この言い伝えに従って現地を調査し、崩壊の谷は「カギカケ」で、吉田山から大島川へ出ている悪沢だとわかりました。そこには崩壊した岩塊や大島川をせき止めた砂礫質段丘が残っていました。
さらに、不動滝より上流、不動滝直下の断層が延長する峡谷をぬけると大島川の谷底は広く岩塊で埋まっています。左岸から合流する鍋割沢から流れ出て埋まったもので300年前の崩壊が大規模だったと実感できます。
現在も鍋割沢一面に崩壊地が多く残っています。特に前高森山から吉田山へ続く尾根に顕著です。


『伊那谷の自然』第182号から引用


大島川上流の鍋割沢。これほどの巨岩が樹木を載せたまま本来あるはずのない場所に不安定な状態で見つかる。これこそが地すべり崩壊の証し。この岩の大きさから察するところ崩壊の規模は尋常ではない。 写真:松島信幸

■地域を詳しく調べることが大事

未満水の大島川では【素因の巨大地震】と【誘因の梅雨末期豪雨】が連動して未曾有の大災害を引き起こしました。災害を巨大化させるメカニズムの解明には、既往災害の実態把握が不可欠です。ここに示した悪沢や鍋割沢についても、さらなる踏査が必要と松島さんは語っていました。未満水の野底川でも大島川と同様の大崩壊と天然ダム決壊による災害伝承があります。それらの解明は今後の伊那谷の防災を考える上で重要な情報となるはずです。
(文責:編集者)

※広報誌かわらんべ第159号に掲載 【注】本稿の作成に当たっては、伊那谷自然友の会会報の以下の号を参考にしました。
・伊那谷の自然 第181号「特集 300年前のひつじ満水で大島川では出砂原ができた」
・伊那谷の自然 第182号「特集 300年前のひつじ満水-その2-」