今春、未満水300年の展示に合わせて、かわらんべの地元:飯田市川路・竜丘地区の川路水害予防組合120世帯を対象に、水害の言い伝えに関するアンケートを実施しました。結果、回答者が直接体験した三六災害の話題が多かったのですが、300年前の未満水のこともちゃんと伝わっていました。

■未満水のことが伝わっていました

「未満水では旧二区公民館(正清寺)の下の所まで水がついた」昭和20年水害の際(子どもの頃)におばあさんから聴いた話を70代の方が紹介してくれました。江戸時代に発生した洪水のことが確かに現代に伝わっていました。
また、あとで地元の方から直接聞いた話では、「未年は水害がある」や「大エノキの根元まで水が来た」との情報もありました。正清寺は現存しませんが、大エノキについては二代目エノキが伝承の証人として同じ場所で葉を茂らせています。

■三六災害の伝承

今では考えられないことですが昔の川路駅には洪水時の救助用イカダ(筏)が準備されていました。洪水時に水に浸かった家屋の二階からイカダで救助されたという回答もあり、重要な備えだったようです。
また、「水つき学校」と呼ばれた川路小学校の水害対策「夏休み前に大事な物を二階に上げた」の情報が最も多く、この対策は学校が高台移転するまで続いたようです。


三六災害時、水没した川路の集落で救助活動中のイカダ。 撮影:菅沼博人氏

 

■桑園ならでは

当時の重要な産業であった養蚕に関連する情報も寄せられました。「雨が降り続くと桑を前もって取りに行った」「河原の桑園に蜂が巣を作るとその年は水害がない」など、日本三大桑園ならではの言い伝えといえます。


昭和58年洪水時の嶋駒沢の桑畑洪水で桑の葉に泥が付き白く見える。こうなると蚕に給餌できない。 撮影:今村理則氏

広報誌かわらんべ第158号に掲載