300年前の大洪水を機に建設された堤防として本誌5月号で惣兵衛堤防を紹介しましたが、これと同時期に建設されたもう一つの堤防があります。伊那谷の偉業として語り継がれる松村家三代の堤防は、今も中川村の天竜川の水辺にあって当時の姿を留めています。

 

■劇的、H18年洪水で古の堤防が出現

理兵衛堤防は【未満水】の大洪水を機に1750年から1808年にかけて建設され堤防です。近代の新しい堤防に置き換わって役目を終え長い間河原に埋もれていたのですが、H18年の洪水で再び姿を現しました。洪水で痛んだ場所の河川工事にあわせてこの歴史的堤防の発掘を進めたことで、その全容が明らかになり、堤防の裏側にも石を積み上げて強くしたり、灌漑用水路の木樋などの独特な構造を確認することができました。


復旧工事と並行して堤防を発掘


堤防の一部(矢印)は今も水辺に

■松村家三代が私財で建設

堤防を修理して造り続けて三代60年。工事の総額は現在の貨幣価値で12億8千万円とも言われ、その費用は村松家が負担していたようです注)。惣兵衛堤防が藩の公共事業だったのに対し、理兵衛堤防は私費で建設した堤防だったのです。
注) 後半は高遠藩の援助を受けて建設

■米どころ『田島たんぼ』を守るため

なぜ、膨大な財産を注ぎ込んでまで堤防を建設する必要があったのでしょうか? それは米どころの「田島たんぼ」を守るためだったようです。当時はお米がとても重要で、社会全体がお米の生産性を基準に組み立てられていました。そんなお米の産地が【未満水】で大打撃を受けた教訓から、生産性の高い農地を守るために名主の松村家が堤防建設に至ったのです。


復元された堤防の一部を中川村歴史民俗資料館学芸員の伊藤修さんにご案内いただき、H26年の講座で見学。
子供たちはよじ登ってその石の大きさを体感し、大人は農業用水路の機能も兼ね備えた構造に驚く。

※広報誌かわらんべ第157号に掲載