300年前の未満水の災害は天竜川流域に甚大な被害をもたらしました。それを受けて当時の飯田城主:掘 親長が飯田市内の石工の中村惣兵衛に堤防の建設を命じたのが1750年のことです。それから3年後には完成し、1961年の三六災害で破堤するまでの210年あまりも地域を洪水から守り続けました。


昨年11/29かわらんべ講座で遺構を見学

■当時の土木工事としては異例のスピードで完成 建設期間3年ほどで高森町下市田に巨大な石を組んだ長大な堤防ができあがりました。同時期に私財を投じて建造していた「理兵衛堤防」が孫までの三代の歳月をかけて完成したことを考えると、惣兵衛堤防の工事が、当時としてはいかに驚異的な早さであったか想像できます。


在りし日の惣兵衛堤防(昭和9年撮影)(所蔵:高森町歴史民俗資料館)

■210年も洪水に耐えた堅牢で精巧な造り

210年余も住民の生命・財産を守ってきた大川除は惜しくも三六災害で決壊しました。しかしこんなに長く堤防機能が維持できたのも、堅牢な堤防を造った惣兵衛の石工であり土木技術者としての卓越した技量と熱意に他なりません。

■正確な測量や形態の工夫

工事には正確な測量が必要です。測量の基準となった「亀甲石」などが今も残っていて、当時の設計技術の高さを物語っています。また、堤防の途中が突き出す独特な形態の工夫もあったようです。


形態を伝える絵図(所蔵:高森町歴史民俗資料館)

■大川除は地域の大事な遺産

優れた土木技術と、治水への願いの結晶である大川除を、末永く後世に伝えるべく、高森町教育委員会では文化財指定に向けて取り組んでいます。

※広報誌かわらんべ第150号(2015年)に掲載